1. 脳サイズの進化
脊椎動物の脳はサイズ・形・機能共に極めて多様です。これは動物が様々な生活スタイル・生息環境に合わせて適応してきた結果であると考えられています。一方で、脳は発達と維持に大きなエネルギーを要する器官でもあります。そのため、脳の適応進化はエネルギー上の制約と折り合いをつけながら進化してきました。私は従来哺乳類と鳥類が対象とされてきた脳進化の研究を魚類をモデルとして再現することで既存の仮説を検討するだけでなく、水中生活・外温性の体温調節といったこれまでの研究では無い新たな視点から脳サイズの進化を理解することを目指してきました。これらの結果をまとめた私の博士論文はここから無料で読むことができます。
私が特に興味を持ったのは脳サイズ-体サイズアロメトリーと脳サイズ進化の関係です。アロメトリーは体の一部が体全体のサイズと強く相関している現象で、様々な形質でこのパターンが見られます。アロメトリーは多くの形質が体サイズと相関して進化してきたことを示しています。このことは古くから形質の進化が必ずしも適応的であるとは限らないことの傍証とされてきました。しかし、アロメトリーがどのように形質進化を制約するのか、これまでよくわかっていませんでした。私は、タンガニイカ湖に生息するシクリッド科魚類においてアロメトリーの勾配(slope)が進化的に極めて安定であることを示しました。この研究から、アロメトリー勾配が進化上の制約となり得ることが示唆されました。 その後、私は主要な6脊椎動物綱(哺乳綱、鳥綱、両生綱、爬虫綱、硬骨魚綱、軟骨魚綱)を網羅した脳サイズと体サイズのデータを用い、種内の成体間で見られる脳サイズと体サイズのアロメトリーが哺乳類と鳥類で特異的に緩和されていることを発見しました。また、哺乳類と鳥類は脳が急激に成長する初期発生の期間を大きく延長することでこの制約を緩和していることもわかりました。この研究は進化的制約の帰結と制約のメカニズムを同時に示した数少ない例の一つです。 |
顎口上綱4587種の体重(x軸)と脳重(y軸)の関係。a)実線は種間の脳-体サイズアロメトリー(evolutionary allometry)を示しています。b)色の異なる多角形はそれぞれの分類群の脳サイズと体サイズの95%を内包する範囲を示しています。
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幾何学的形態測定法。マレーシアの汽水域に生息する世界最大の淡水ヨウジウオ Doryichthys boaja の頭部写真。 1から12の番号を付した点はヨウジウオ科魚類に相同なランドマークを示しています。これらのランドマークが種間でどのように違うかを比較することで顔の形そのものを評価する事ができます。
写真測量法。約50枚の写真から復元したトナカイ(Rangifer tarandus)のオスの頭骨の表面画像。写真に写し込んだスケールをもとに構造間の距離や構造物の体積を正確に計測することができます。
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2. フェノミクス:ミクロ進化とマクロ進化の隔たりへの挑戦表現型(Phenotype)の計測技術は近年飛躍的に向上しました。この技術革新は生物学に新しい潮流を持たらす大きな可能性を秘めていますが、遺伝型(Genotype)についてほど研究が進んでいないのが現状です。生物の表現型を網羅的に測定したビッグデータを用いた研究はゲノミクスと対になる概念として『フェノミクス』と呼ばれています。
現在、私は幾何学的形態測定法(Geometric morphometrics)と写真測量法(Photogrammetry)を用いて収集した巨大なデータを用い、異なる時間スケールにおける進化のつながりと隔たりについて研究を進めています。 私の発想は古典的な量的遺伝学(Quantitative genetics)が個体の表現型と家系図を用いて量的形質の遺伝法則について研究した手法を種間比較に応用するというものです。この手法を使えば様々な遺伝パラメータ:遺伝率や遺伝分散・共分散構造(G-matrix)を異なる時間スケールで推定することが可能です。私は異なる時間スケールで推定された遺伝パラメータ間に互換性はあるのか、またあるとすればどのような遺伝的側面に時間スケール間の互換性が見られるのかを検討しています。 このアプローチによって進化生物学者が実験室内や野外で観測する小進化プロセスが多様な生物種間の隔たりを説明しうるのか、あるいは種分化以上のプロセスには小進化の枠組みでは説明できない現象が介在しているのかを量的に理解できるかもしれません。また、伝統的な表現型をベースとしたアプローチの可能性を突き詰めることでゲノミクスが圧倒的主流の進化生物学の潮流に一石を投じたいという狙いもあります。 |